ドブの底

汚い

   名前も知らない人の群れを眺めていると、それぞれの人に、それぞれの人生があるという事実が、不思議に思えます。一つとして同じものがなく、どれが正しいということもない。一過性の若さを満喫する人、大勢の中にいてこそ輝く人、小さな情緒を大切にする人。人、人、人。なんだか暑苦しく感じるし、しかしながらこれが社会だとも感じます。
   対して、自分自身はどうなのかという疑問も浮かんできます。私は自身の人生について、暗い海の底で静かに息をするようなものだと思います。人前で何かを成す力や特筆すべき能力も持ち合わせていない、そのくせいちいち傷付いたり、その傷を癒そうともせず受け入れることしかできない。その事実を悲しんだり、あるいは抗おうとすることも、なんだか違うような気がします。ああ、そういうものなんだなあ、と少し離れて考えるだけで事足りるからです。
   また、心に関して。嬉しい、悲しい、幸せ、つらい、たくさんの感情があります。名付けた感情に当てはまらない何かを、心と呼ぶのかもしれません。感情に際限はない。とめどなく、次から次へと溢れてくる。溢れるものに蓋をする方法は何だろう、と考えました。
   それは、黙ること。言語化しようと試みたその残滓を心と呼ぶなら、そもそも何も言葉にしなければいい。誰にも理解されないのなら、敢えて黙ろう。そう思いました。