ドブの底

汚い

私はシャワ浣ができない

    思いをそのまま形にできたのならば、生きることはどれだけ楽になるだろう。

    現実は常に醜い姿で私の目の前に立ち現れては、この身を食らう。いつもそうだ。思いと身体は全く連動しない。そうして私は壊れた柱時計になる。右回りに針をまわそうとしても、針は止まったり、反対にまわったりしてしまって正確な時を刻んでくれない。どこが狂っているのか?どこで間違えたのか?そうこう考えているうちに本当の時間を見失い、もう戻れない。壊れた私の長い腕と短い腕が真上を向いて重なる。偽の0時。私はだらしなく垂れた心臓を鳴らし始める。

 

    その日は目が覚めたときから、何か悪い予感がひしひしとしていた。喉が軽く痛む。風邪だろうか。そういえば便秘な気がする。きっと疲れているせいだろう、と得体の知れない予感に勝手な理由づけをして携帯電話を見ると、

「12時に新宿でいい?」

との文面が液晶に浮かび上がっている。ヤリ目で会う男からの連絡だと気付き、急いで支度を始める。

    私はシャワ浣ができない。シャワーを肛門に押し当てても、お湯が直腸に入ってこないのだ。天性のキツマンだろうか。それでもゲイの世界に足を踏み入れて数年、なんとかしてきた。シャワ浣ができないというハンディキャップは私を強くした。枷があれば、人は強くなる。

    抽斗に入った青い箱から奇妙な形をした容器を取り出し、私は浴室でその容器に入っている液体を直腸に注入した。その液体を私は「愛液」と呼んでいる。イチジク浣腸などという無機質な名前は、ひどく不釣り合いだ。愛液。透明でぬめり気を浴びた、愛液。

    愛液を注入して数分経つと下腹部で魑魅魍魎が暴れ、私は魑魅魍魎を便器に追い出す。泣き叫ぶ魑魅魍魎を、私は一瞥もしない。阿鼻叫喚。魑魅魍魎を追放すること数回、私はシャワーを浴びて家を出た。

 

    12時丁度、JR新宿駅東口からすぐの喫煙所で煙草を喫んでいると、男から「いまついた」との連絡があり対面した。

「はじめまして」

    そう言う男の顔は仏像に似ていた。百済観音。誰だお前。と思うのも束の間、性欲が仏像を上回り私は仏像と歩き始めた。驚くことに仏像はちゃんと二本足で歩くことができた。歩幅が広い。

    場所無し同士のため、発展場を使う約束になっていた。隣同士のロッカーを使い下着だけの姿になり、先に私が、その後に仏像がシャワーを浴びた。平日の昼間だというのに店内にはぽつぽつと男がいて、誰も彼もが暇そうにしている。暗い店内にクラブ調のBGMが喧しい。ヤる前に一服、と喫煙室に入り煙草を喫む。隣に同じく煙草を喫む仏像。ベンチに片足を上げて座り右手で煙草を持っている姿はまさに仏像で、私は仏像の背後に光さえ感じた。仏像の前に置かれている賽銭箱にセブンスターの吸い殻を捨てて、喫煙室を出た。

 

    広めの個室に入ると、仏像は既に勃起していた。

「一週間抜いてない」

と言う仏像。仏像にも性欲があるらしいという気づきを得た私は、仏像と交わり始めた。一週間抜いていないというのは本当であるらしく、仏像の勢いは嵐のように私の身体を過ぎていった。手マンもそこそこに挿入してきた仏像の表情は無、あるいは悟りを感じさせた。薄暗闇に包まれているはずの店内だが、仏像の肩越しに見える景色は宇宙だった。

    私よりも体格の大きい仏像はくるくると体位を変えていく。正常位、騎乗位、バック。その度に身体を押しつけて息をきらす。仏像の背中がじっとりと濡れて気持ち悪い。ローションや汗が混ざり合って一つの液体となり、陰部を飲み込む。

    二度目の正常位にさしかかりしばらくすると、仏像が薄い口を開いた。

「モレテナイ?」

    マントラだった。同じように私も頭の中でマントラを復唱する。モレテナイモレテナイモレテナイ。そして一つの答えを見出す。

「え、漏れてる?」

「うん。一旦抜くね」

    仏像が仏像を引き抜くと、私の最も暗い穴の奥から、ドロドロした液状の何かが溢れた。それは汚穢だった。

    悠久の時を夢想した。涯のない時の流れ。流される私。神話の時代から汚穢は忌み嫌われ排除されてきた。黄泉の国から帰ったイザナギは禊をして汚穢を払い落とした。ここは黄泉の国。汚穢に塗れる私。

    

    それから先は、特筆すべきことなど何もなかった。行為を終えてシャワーを浴び、仏像と店を出たところで別れた。日常の時間。意思と無関係に動いてしまう体を、私はかろうじて帰路につかせた。

    アルタ前までやってくると、大きな液晶画面が15:00丁度を示し、正確な時間を私に教えた。